2017-03-24 第193回国会 衆議院 環境委員会 第6号
まず、最初の説明会で、樹皮に含まれている放射能をどうするんだと尋ねられて、俺に任せておけ、俺は、矢板の塩田が放射性指定廃棄物の最終処分場に指定されたとき、反対同盟の実行委員長だったんだから、俺に任せておけという回答なんです。そんなもの、誰も信用しません。そんなことから説明会がスタートしましたから、四回やっても地元の理解は得られないわけです。
まず、最初の説明会で、樹皮に含まれている放射能をどうするんだと尋ねられて、俺に任せておけ、俺は、矢板の塩田が放射性指定廃棄物の最終処分場に指定されたとき、反対同盟の実行委員長だったんだから、俺に任せておけという回答なんです。そんなもの、誰も信用しません。そんなことから説明会がスタートしましたから、四回やっても地元の理解は得られないわけです。
住民の皆さんも立ち上がって、処分場反対同盟会を結成し、候補地選定の白紙撤回を求めて活動を始めました。人口一万二千人の町ですけれども、この間、白紙撤回を求める署名が町内外で十七万人以上集まっております。町と議会、住民が一体となって反対運動に取り組んでおります。 副大臣にお尋ねしますが、環境省は、このように塩谷町が町を挙げて計画に反対しているということを承知しておられますか。
これに対して地元住民は、連日の座り込みで説明を求め、厳しく抗議をするとともに、石木ダム建設絶対反対同盟を結成して四十年以上闘っておられます。
○福田(昭)委員 まあ、丁寧に説明したということでありますが、しかし、五月十四日は、肝心の塩谷町は反対同盟の皆さんは出てこないで別な場所で、政府がやった説明会は新聞報道によると百七十九人、塩谷町は別な場所で何と千百人集めてシンポジウムを開いたんですよ。これで効果があったんですかね、どうですか。
私は、昨年の十月二十八日、栃木県矢板市の放射性指定廃棄物最終処分場設置反対同盟の研修会で、指定廃棄物は福島第一原発の空き地、七号、八号機の原子炉建設予定地、ここに非常に広大な空き地がありますので、そこに持っていくべきだという提案をいたしました。
できますが、しかし、実際の評価項目などを何も変えなければまた同じようになるということは、誰もが想像していることでありまして、多分、そういうことから、石原大臣も、これは昨年の十二月二十八日ですか、記者会見をして、選定手続を検証してみたけれども、新しい方針を打ち出したけれども、矢板を除くわけではないと、こういうことは大臣も、また井上副大臣もはっきり明言をしておりますし、そうしたことを踏まえて、実は、矢板の反対同盟
これは、例えば四十年以上、双葉地方原発反対同盟で活動している石丸小四郎さん、彼などもずっと一貫して全ての原発被曝労働者に健康管理手帳の交付をという運動もしてきているんですね。
その成田空港公団が協定書を結んでいますね、過激派と、反対同盟と。そのときに軍事利用をしないということで書いてあるから自衛隊が制服で通らないでくれということなんでしょう。それはそういう理解でいいんですね。いいとか悪いとかだけ答えてください。
しかし、同じ県内の自治体であるお隣の今市では議会が全部反対している、住民も反対同盟、強いのがあります。こういうのがありながらも、随分勝手な話じゃないか、中身はうちの方の水を取らなければできないダムじゃないかということで、住民感情からすれば、非常に心を逆なでされるような気持ちになってきているわけですね。
そういう立場から私は大臣にお伺いしたいんですけれども、外環道路反対同盟という組織があります。大臣も陳情を受けられたと思うんです。ここに外環ニュースというのがあって、大臣が会われている大きな写真とそのときの記事が載っておりまして、「瓦建設大臣に面会 外環計画の白紙撤回を要請」という大きな……
円卓会議の結論によって空港をめぐる対立構造は解消され、昨年夏以降、これまで空港反対同盟の代表的存在であった農民の方々との合意や裁判上の和解を行う等、成田空港の問題は解決に向けて着実に進展しつつあります。今後は、円卓会議の結論を踏まえて、地域と共生できる新東京国際空港の整備に積極的に取り組んでまいる所存であります。
円卓会議では、空港と地域との共生の道について、反対同盟のみならず、広く地域との話し合いを続けているところでございます。 このようなことから、会議の結論を出すめどにつきましては現在申し上げることはできませんが、このような対話を積み重ねることにより、できる限り早く結論を見出せるよう努力してまいる所存でございます。
ただ、この問題は平成三年から話し合いをしておりまして、シンポジウム、円卓会議というような姿をとってずっと反対同盟と話をしてまいりました。地域の方の御参画も得ております。私は、話し合いの要請は相互理解と信頼であろうと思いますが、次第次第にそういうお互いの気持ちが通じ合う状況になってきておると思います。
それで、五十三年五月開港いたしました後も、何とか話し合いで解決できないだろうかということで、運輸省といたしましては、例えば五十四年の七月でございますが、当時の運輸大臣から反対同盟の委員長に話し合いを呼びかけたりもいたしております。
なお、現在も成田空港の周辺には十四セクト、約百人の極左暴力集団が十五カ所のいわゆる団結小屋と称する地点に常駐いたしておりまして、空港反対同盟への支援活動を行っているところでございます。
その一方で、反対同盟の中に小川派、北原派があるわけでございます。大臣は空港の記者会見で、円卓会議に参加していないこの北原派、小川派に対しまして別の場をつくって話し合いたい、こういうように表明されたようでありますが、いつごろ、どのような形で話し合いの場を持とうとなさっておるのか、お聞かせいただきたいと思います。
○政府委員(土坂泰敏君) 円卓会議、二回やらせていただきまして、一回目は国と反対同盟の方から意見の陳述を行いました。二回目は地元の市町村の方々、県それから地域代表の方々、こういった方々の御意見の陳述がございました。 三回目以降をどういうふうに進めていくかというそのスケジュールというか、そういうことは現時点ではまだ決まっておりません。
しかし、その円卓会議には反対同盟の熱田派だけの参加であったと聞いておるわけでございます。この円卓会議は今後どのようなスケジュールとなるのか、あるいはまたいつごろまでに今掲げておる空港と地域住民との共存共生の道を見出して二期工事の完成を図ろうとしておられるのか、その見通しについてお聞かせをいただきたいと思います。
これは週刊誌の記事ですから余りお気にとめないでいただきたいと思うのでありますが、「反対同盟の組織づくりをしたのは社会党なんです。だからはじめは反対者は相ついで入党しました。一坪地主の運動なども同党の仕事で、初期は完全に闘争のヘゲモニーをとったとみえたんです」こういうふうに、これは社会党関係者の発言でありますね。
公開シンポジウムは和解のステップでございまして、今度は円卓会議は結論を得る方向、段階が違うと思いますから、したいと思いますし、そこに御参加をいただいている反対同盟の皆さん、心から敬意を表しながら、謙虚にまた真剣に話をしていきたいと思います。 御参加をいただいていない部面の方々もいらっしゃいます。
「社会党は三里塚空港反対同盟のたたかいを一貫して支持している。それは三里塚のたたかいが、土地と生活と権利とを守るたたかいであり、政府と真っ向から対決するたたかいだからだ。」「政府と真っ向から対決するたたかいだからだ。」その政府と真っ向から対決をすると委員長みずからがおっしゃっていた運動をなぜおやめになったのですか。
構成メンバーでございますが、隅谷調査団の所見にも明記されておりますけれども、運輸省、空港公団、すなわち国側と、それから反対同盟、地域関係の住民、それに千葉県とかあるいは周辺の市町村といった公共団体、こういう場になるんではないかと思います。 具体的にだれが主催するかにつきましては、隅谷調査団にとりあえず一任されたいという話もあります。私どもの意見は申し上げていきたいと思っております。
○林紀子君 私が聞きました例では、例えば東京都獣医師会で問題になったところですけれども、雪印乳業が品川区にヒューマン・マニアル・リレーション研究所、こういうものを設置しようとしましたが、地元の獣医師会が中心になって反対同盟を結成し、結局平成二年の四月には、雪印側は地元獣医師会との合意が得られないということを理由に計画を見直すという出来事がありました。
○近藤政府委員 まず、南摩ダム地点の地元につきましては、いろいろ反対期成同盟会の方あるいは絶対反対同盟会等の組織がございますが、これらの方に十分説明しながら、水資源開発公団が話し合いを進めるよう努力しておるところでございます。